今日の帰り道に思ったことを少しポエミーに書いていきます。
夏は刹那的だ。と地面にころがったカナブンの死骸をみて思った。
代わり映えしないいつもの帰り道、私はイラついてた。コンクリートジャングルの暑さにやられしまったのかもしれない。
私をイラつかせていたのは暑さだけではない、やむことのない蝉の鳴き声が暑さと絡みついて私の頭の中まで入り込んでくる。ストレス値はどんどんと増していく。
「どいつもこいつもうるさい」
都会の蝉に向かって独り言つ。そういえば母の実家地方では、夕方になれば蝉の声は少なくなっていたように思うし、山に響くヒグラシの鳴き声は切なさと涼みをもたらしてくれた。
そんなことを思い出しながらコンクリートを踏みしめて歩く、ふと足下をみるとカナブンの死骸が転がっていることに気がついた。
カラカラに乾いたカナブンの死骸。
昔はよく捕まえていたけれど、あれは逃がしてやったのだろうか、それとも虫かごの中で死んでしまったのだろうか。少なくともちゃんと世話をした覚えはない。
ほんの一瞬 死骸をみた後、すぐに顔を上げて歩き始めた。蝉はまだ鳴き続けている。
夏は命を儚いものに感じさせる。
絶え間なく鳴き続けて私をいらつかせていた蝉もこの夏の間に死んでしまうし、たとえば夏の風物詩である打ち上げ花火も一発の輝きでその使命を果たし終える。
とてもとても刹那的。
冬は春に向けての我慢の時間を感じさせる、つまり命のつながりを感じるのに対して、夏は一瞬の命の輝きを感じさせる。
夏の暑さと蝉の鳴き声が少し気にならなくなった気がした。
つまり。。。
つまりね、夏のものって命というか存在が一瞬だなって感じたんですよ。ってお話をめちゃめちゃまわりくどく書いたわけです。
いいたいことなんとなく伝わってるでしょ!? ねっ!???(無理矢理)
蝉や花火だけじゃなくかき氷も刹那的。すぐに溶けてしまうし…。蚊取り線香もいつの間にか全部 灰になってる。
夏が”終わり”を感じさせるのは、学生時代の「夏休み」の存在が影響しているのかもしれない。8月中旬になると思うもんね「あー夏休みが終わっちゃう!」って。
そういう経験の積み重ねとカナブンの死骸とか蝉の声がリンクしたのかもしれない。
空も青いし、木も草も緑に生い茂っているのに、なぜだか夏の夕暮れは儚い。夏は刹那的。夏ってそういう季節だよねって話。
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