2014年7月21日公開の思い出のマーニー、公開初日からTwitterでは「百合」「百合じゃない」と熱い議論を繰り広げていた本作品ですが、そういった部分とはまた別の「自己肯定」というに着目して個人的に考察してみました。
以下、ネタバレがありますご注意ください。
映画「思い出のマーニー」、ネタバレを含まない感想はこちら!
少女姿のマーニーは幽霊だったのか
まずはアンナが出会った「少女姿のマーニー」の存在について、私なりの解釈をまとめていきます。
作品を鑑賞された方はご存知だと思いますが、アンナが湿地帯(湿っち屋敷)で出会ったマーニーの正体はアンナの祖母でした。
マーニーが少女姿でアンナの前に現れたことについて「マーニーの幽霊が現れていたんだ」「一種のタイムスリップだ」などと様々な解釈があります。
しかし私は、アンナが出会った少女姿のマーニーは幽霊でというよりアンナ自身が言った通り『妄想』や夢の中の存在である部分が多かったのではないかと思います。
アンナ自身忘れていた記憶ではありますが、幼いころに両親を交通事故で亡くし一時期、祖母マーニーと暮らしたことが大きく関わってくるのではないでしょうか。
回想の中で祖母マーニーは、アンナに絵本を読み聞かせるように自身の思い出話を語っているのです。
成長とともにマーニーとの思い出を忘れていたアンナですが、喘息の治療(ほぼ心の治療)で訪れた土地つまり祖母マーニーが暮らしていた湿地帯や屋敷を見たことによって
無意識のうち祖母マーニーが語ってくれた話を思い出し、それを元に少女姿のマーニーを妄想という形で生み出した可能性があるのではないでしょうか。
画像引用元:思い出のマーニー公式サイト
つまりお花売りとしてパーティーに参加したことも夜のピクニックもサイロでの出来事もすべて祖母マーニーが昔、実際に体験したこと、幼いアンナに語り聞かせていた祖母マーニーの思い出だったのではないでしょうか。
祖母マーニーとの関わりなどすっかり忘れていたアンナは湿地帯と屋敷を見たことで知らず知らずのうちに記憶の底が刺激され、祖母マーニーの話をもとに妄想世界を作り上げ、その中で追体験したということになります。
上記のように仮定するとマーニーとアンナが接触するシーンで突然、マーニーの姿が消えてしまうことがあった点もスッキリします。
マーニーが消えてしまう部分、それは祖母マーニーがアンナに語ったことのない部分なのです。
あくまでアンナは祖母マーニーから聞かされていた話に沿って妄想世界を作り上げ追体験をしていると考えると、不自然に妄想が途切れるシーンは祖母から語られなかった部分だととらえることができます。
だから少女マーニーを生み出すことができないシーンがあるのです。
ただ終盤サイロでマーニーが姿を消した後、アンナが病み上がりに屋敷へと向かい少女マーニーと対峙したシーン(姿を消したマーニーとそれを追いかけたアンナとの会話の部分「許して」「あなたが好きよ」という一連の流れ)に関しては、時空を超えた愛でもあり、アンナの自己肯定の問題(後述)とつながるので、唯一追体験とは言い切れないのですが。
アンナの追体験 マーニーそして久子と和彦
追体験:他人の体験を、作品などを通してたどることによって、自分の体験としてとらえること。
引用元:コトバンク
私が少女マーニーは幽霊ではなく、あくまでアンナの”妄想”であり”追体験”であったと思った一番の理由は少女姿のマーニーの見え方が2種類あったことによります。
「前半の行動力があり、アンナをぐいぐい引っ張っていくようなマーニー」と「後半の弱さが見え隠れしサイロでうずくまってしまうようなマーニー」この2つです。
アンナが体験したことがすべて祖母マーニーが語った経験談だとすれば・・・
前半はマーニーと久子の思い出として、そして後半をマーニーと和彦との思い出として捉えることができないでしょうか?
アンナは祖母マーニーから聞かされた話をもとに世界を作り上げ、その中の久子と和彦の立場に自分を当てはめて追体験を繰り返していたのです。
前半部分の他人をぐいぐい引っ張っていくようなマーニー
・屋敷の入り口階段で腕を引っ張る、草の陰に隠れる際に肩を抱き、引き寄せる行動
・お花売りの少女としてパーティーに参加する → 和彦が第三者として登場している
前半部分、少なくともパーティーに参加した時の視点からアンナは、マーニーでもなく和彦でもない主人格の立場になり追体験したことがわかります。
そしてこの主人格というのが唯一幼少期のマーニーと関わりを持っている人物として登場した久子なのです。
後半部分 弱さや苦手なものが見え隠れするマーニー
こうなれば後半は言わずもがな。
・励まされながらサイロへ向かい、突然の雷雨に恐怖し身動きすら取れなくなる、”和彦”へ助けを求める
・サイロでアンナを”和彦”と呼び続ける
マーニーが頼れる人、弱い部分を見せる相手は後の旦那となる和彦だったのでしょう。
後半、和彦の名前が目立ち始めたのはアンナが妄想の世界を認識し(メガネっ娘に”マーニーは私の妄想”と伝えた)、自分と妄想の世界の区別が付き始めていたからということでしょうかね。
もう一つ、あの少女マーニーが妄想であったと思う理由があります。それはアンナが見た少女マーニーの姿、かたちです。
少女マーニーの髪は長くてウェーブしていて金色、そして大抵白いワンピースを着ています。
この姿はアンナの回想内(両親または祖母マーニーのお葬式時)で幼少期のアンナが抱きかかえていた人形と酷似しています。
これが偶然の一致だとは思えません。
つまり、アンナは追体験するために妄想内で少女姿のマーニーを再現する必要があったが、祖母マーニーの姿しか知らないため、幼少期に遊んでいた人形をベースに少女マーニーを作りあげたと…。
こう考えることができるのではないでしょうか?
自己否定から自己肯定へ
主人公アンナは幼いころに両親や祖母であるマーニーを失っており、もらいっことして育てられていました。
そして物語の序盤で、育ての親である夫婦が国から助成金を受け取っていることを知ってしまうのです。
両親がいない、育ての親は国からお金をもらって私を育てている(お金のために私を預かっているのでは?というある種の愛情に対する不安)、そして瞳が青い(マーニーが祖母であるため)
これらの点が重なってアンナは自分と周囲の人間に”違い”を感じ、”普通でいたいのに周りの人と違う”という思いに苦しみ、そんな”普通じゃない自分”のことが嫌い=自己否定気味の性格になっていました。
いろんなものに対して苛立ったり、無関心だったりする割に最終的に「私は、私が嫌い」と自己否定に収束するあたり自己否定的な性格がにじみ出てますよね。
そしてアンナの自己否定から自己肯定への切り替えを象徴する「許してアンナ、あなたが好きよ」というマーニーのセリフがあります。
このセリフは杏奈をひとり残して死んでしまった、置き去りにしてしまったことを許してほしいというマーニーの気持ちととるのが素直です。
が、自己肯定セリフともとれるんですよね。最初の仮定が正しいとすると、(アンナの妄想は祖母マーニーの語った思い出話が大元になっているとは言え)妄想上の少女マーニーの細かな言動はアンナの創造の産物であると考えられます。
アンナが作り上げた少女マーニーには少なからず、アンナ自身がなりたい・憧れるような姿が投影されていたはずです。人間であれば誰しも「こんな風になれたらな」って理想像は持っていますよね。
そういうアンナの理想像が反映されたのが少女マーニーなのです。
現にアンナがマーニーに向かって「あなたがうらやましい」と言うセリフがありましたよね。自分で作り上げた理想像なのだから羨ましくて同然。自分にないものをすべて兼ね備えて見えますから。
そんなアンナの憧れ・なりたい姿の象徴であるマーニーに(本来の自分”嫌いだったアンナ”に向かって)「好きよ」と言われたことにより、本当の意味でアンナはアンナを好きになる(嫌いでしょうがなかった部分も認める、許す事ができるようになる)つまり自己肯定することができたのです。
「祖母の話をもとに作り上げた自分の憧れ・なりたい姿”マーニー”」と「自分が嫌いな自分”アンナ”」という二つの存在が、お互いを認め合い自己の中で混ざりあうことにより自己肯定をしっかりできる少女へと成長というところでしょうか。
そんなアンナが妄想の世界での追体験を通して現実とまっすぐに向き合うようになり(自分と向き合うことができた)、だんだんと周囲の気持ちを素直に受け止めるように、愛情にも気がつく事ができるのです。
嫌い、嫌い、嫌いという自己否定的なフィルターを通してしか世界を見れなかった子が、追体験を通していろいろなものに触れ自己肯定できるまでに成長し、その結果周りのみんなの気持ちも素直に受け取れるようになったんですね。
いや〜よかったよかった。
個人的あとがき
今回の考察は「自己肯定」にポイントを当ててみました。
考察をまとめていて(まとまってない気がするけど)思ったのは、やっぱりマーニーに会えるのは不思議な現象ではあれど「幽霊やタイムスリップ」説は薄いんじゃないかなってこと。
しかし「妄想」の一言で片付けるには、謎につつまれた部分も多く不思議な愛の物語なんですよね。見た人の数だけ解釈の仕方があるような映画でした。
うん、しばらくは思い出のマーニー考察記事を読み漁る日々になりそう!
また面白い見方捉え方を探してみたい!
以上、思い出のマーニー考察 追体験を通した自己肯定の物語でした。
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コメント
すごーく分かりやすくて、自分の中でモヤモヤしてた部分がはっきりしたような気がします!!ありがとうございます♪DVD観たばかりですが、もう一回みようと思います^^
takayukiさん
コメントありがとうございます!
個人の一解釈に過ぎないですが、わかりやすいと言っていただけてとても嬉しいです!いろいろな視点で鑑賞するとより一層楽しめますよね!
「自己肯定 マーニー」で検索してみてここに来ました。同感です。
自分なりに考えたり、本を読んだり、人と語らったりする中で、自分の自己肯定感の低さに気付きはするけれど、理屈がわかっても自己肯定感なんてすぐに高まりはしない。自分を受け入れるってどんなだろう、なんて(内面的に)もがきながら、なんとか仕事しながら生きている人ってたくさんいると思うんです。そんな人にとっては、杏奈がマーニーを許すって言うあのシーンは涙が止まりません。アニメだっていいから、人が自分はこれでいいんだって実感できてる瞬間を見ることができて、私は勇気がわきました。娘と一緒に見ていて、がんばろうと思いました。
jetさん
検索からわざわざ閲覧いただきありがとうございます。
「自己肯定できないまま生きている人は多い」本当にそう思います。自己肯定は自己愛とは異なり、実は難しい作業です。そういった意味でもジブリでこの作品を映像化してくださって自分自身も感謝しています。
勇気が湧く、頑張ろうと思える作品に出会えたことは素敵なことですよね。、コメントまでいただきありがとうございました。とても励みになります。