2014年9月1日放送のTVタックル「ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か」ネットでも大きな話題になっているので私も感じたことをまとめてみる。
あらかじめに私のスタンスを出しておくとこんな感じ。
- 必要であればアニメに規制がかかっても致し方ないと割り切れる
- ただし賛成派を擁護する気はない
規制賛成派 vs 反対派 そもそもアニメって何だろう?
まずアニメ規制賛成派と反対派にわかれアニメ規制とオタクについて討論するわけだが、両者の間で”アニメ”というコンテンツへの認識が根底から違うので話は平行線をたどる一方。
規制賛成派にいた国会議員とマナー講師の意見はほぼ主観であったが、オタク=犯罪者予備軍、気持ち悪いと一貫性を持っていたので、それはそれで良かった。良くも悪くも世間一般のアニメに興味のない人間のオタクに対する認識はこんなものだというのが実によく出ていた。
規制賛成派:あくまで子供向け、子供が楽しむもの、さらに言えば教育につながる
規制反対派:子供向けだけでなく大人も楽しめるエンターテイメント(特に深夜アニメと呼ばれるアニメは大人向け)
規制賛成派はアニメはあくまで”子供が楽しむもの、子供がターゲットであるべき”という認識なので、過激な演出のあるアニメは「子供に悪影響・規制をしたい」と思うのだろうし、そういう認識を持っているから「大人になってもアニメを見続けるオタク」に一種の幼児性、または気持ち悪さを感じるのかもしれない。
確かにアニメを「子供向け、子供が楽しむためのもの」と捉えると規制賛成派の意見もあながち間違いではないと思う。
例えば、アニメを子供向けだと捉えている人が魔法少女アニメの中でも異彩を放つ「魔法少女まどか☆マギカ」を見たとき、子供に見せるにはいささか暴力的なアニメだと感じるのはそれほどおかしなことではない。
アニメにあまり偏見のない私であっても「おジャ魔女ドレミ」と「魔法少女まどか☆マギカ」のどちらかを小さな子供に見せろと言われれば間違いなく「おジャ魔女ドレミ」を選ぶ。
ただ、このご時勢この時代”アニメ”は子供が楽しむためのものかと言われればそうとも言い切れないので話はややこしくなる。
例えば先ほど例に挙げた「魔法少女まどか☆マギカ」というのは”魔法少女+ダーク”という正反対の要素を組み合わせ、それこそ「おジャ魔女」や「魔法の天使クリィミーマミ」のような王道魔法少女アニメの概念を覆す新鮮な作品だったことは間違いないし、明らかにターゲットは大人であり、さらに言えば”王道アニメを嗜んできた大人を裏切る”ために作られていた。
つまりアニメというコンテンツは”子供のもの”から”全年齢が楽しめるエンターテイメント”と変遷していると言えるのではないだろうか?
この”そもそもアニメとは何?誰が見るもの?”という部分の認識のすり合わせができていない時点で討論は破綻していたのではないだろうか。
アニメ規制 重要なのは線引き?
そろそろ本題のアニメ規制について触れていくが、まず規制の槍玉に挙げられていたのは”小さい女の子が裸同然の姿になっていたり性的な描写のあるアニメや暴力シーンのあるアニメ”である。
なぜこれらのアニメ、シーンが規制対象となるのか。規制賛成派の意見を簡単にまとめると”そういう過激なアニメを見て刺激を受けて二次元とリアルの判断がつかなくなった人間が罪を犯す可能性があるから”
こんな抽象的な主張で規制をしようとするから、反対派が強く抗議する事になるのだ。この討論も賛成側にアニメについてある程度理解を持った人が一人でもいればこんなグダグタな討論にはならなかったはず。
確かに賛成派の主張がすべて間違っている訳ではない。犯罪者の中にはアニメを見たことをきっかけ罪を犯すものもいるであろう、しかしそれをピックアップしてアニメ好き=犯罪予備軍と呼ぶのは少々無理がある。
例えば犯罪者の中にテレビドラマ好きがいたとする。
テレビドラマには罪を犯すシーンは山ほどある。国民的ドラマである3年B組金八先生のとある回にてレイプを隠喩するシーンもあった。(たしか女優の上戸彩が性同一性障害を持った生徒役を演じた時だったであろうか・・・もう一人の主役的な男子生徒の姉が強姦された末 亡くなり、あげく父親の復讐殺人で家庭が崩壊してしまったというような重い話だった覚えがある)
犯罪者がテレビドラマの影響で罪を犯したと主張したら、アニメ規制賛成派は「テレビドラマ好きの人」に犯罪予備軍というレッテルを張るのであろうか?テレビドラマを規制するのであろうか?(こんな理由でテレビドラマを規制する意見が出始めたら世も末だと思うが・・・)
なにもアニメでなくともテレビドラマでなくともいいのだ。小説だって、有名人の昔はやんちゃしてましたなんて犯罪暴露本でもいいかもしれない、アイドル、そういえば小学生アイドルなんてのもいる、さらには暴力的とも捉えることができるプロレス、ボクシング、格闘技…
上に挙げたもの以外にも様々なものをきっかけにして、犯罪に憧れたり(かっこいい事なんだと勘違いする)、ロリータ趣味、暴力的思考に走った犯罪者がいる可能性だって0ではない。
そういう可能性を無視してアニメの影響が突出しているかのような主張するから反感をかう。規制を設けるのであれば平等な目線で、客観視しながら定めなければない。「臭いものに蓋」では根源の改善には繋がっていないのだから。
少し話題を変えるが、普段アニメを見て楽しんでいる私はそういったアニメを見たからといって罪を犯そうという気になるはずもなく、むしろしっかり二次元とリアルの区別はついている。そしてアニメをひとつの作品として楽しむ消費者の一人でしかないと思っている。
アニメは様々な趣味の入り口になる。二次創作、フィギュア・アイテムのコレクション、さらには声優に興味を持つオタクもいる。たまに話題上がるようなオタクであることをアピールしそれに価値を見出す目立ちたがり屋を除けば、ほとんどのアニメ好きは周囲に迷惑をかけることなく、普通にあるいはひっそりと自分の趣味を楽しんでいるだけなのだ。
普通に楽しいんでいる人がいるからこそ、そういった人たちの娯楽や趣味、生きがいのフィールドである”アニメ”というコンテンツにいきなり土足で踏み込み、ごく一部の際どい作品を槍玉にあげて「やっぱりアニメは悪影響を及ぼす!規制!」と叫んで回る規制派の主張の仕方には疑問を感じざるを得ない。
いうなれば、賛成派が主張していた規制というのは他人の自宅にいきなり土足で踏み込んで、家主が所持していたエロ本を取り上げ「こんなものを見ていると犯罪者になる」とヒステリックに喚いて、それを没収するようなものではないだろうか。
家主からすればなぜエロ本を没収されなければならないのか腑に落ちないのだ。なんせ自分のスペース内で誰にも迷惑をかけず楽しんでいただけなのだから。
さて話を戻していよいよ論点となるのはアニメの規制そのものについて考えていきたいのだが、もし仮に…(本当の本当に99%無いと思うが)アニメを見た事をきっかけとした犯罪数が、相対的に増えているという「アニメと犯罪との因果関係」を証明できるのであれば、アニメは規制対象になってもおかしくはないと思う。
それでもなおアニメと犯罪との因果関係があると認められてしまえばさすがに規制は免れないであろう。
そこでより重要になるのは規制云々より規制の内容。どこで線引きをするのか、誰を対象に規制するのかという点だ。
たとえば美少女の裸シーンを規制するという事であれば、ドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンを規制する必要があるのだろうか?なぜそこに規制を設けるのか明確な判断理由がなければならない。
何もかも規制規制と”抑圧”という方向性に進めるのではなく、「対象年齢の表記を義務づける」そうした対応では駄目なのか。
そうした事をひとつひとつ考えたときに海外で規制しているからという理由で日本が海外の規制基準に従う理由は全くなく、日本国内の犯罪数と比例する箇所のみを規制するべきだ。ちなみにヨーロッパ諸国ではアニメ、二次児童ポルノの規制が厳しいことで有名だ。しかし性犯罪の数では日本を上回っているのだから、その規制基準を参考にするのは全くおかしな話なのである。
今も昔も変わらない偏見
討論中、オタクと番組進行役の間ですごく印象的なやりとりと私が今回の討論で一番心に残った発言があったので紹介したい。
まずは印象的なやり取り、オタクに対し、就職に関する質問が上がった時会話だ。
オタク「就職決まってるんで」
進行役女性「えっ満足してるの?就職に」
オタク「ええ、好きなことを仕事にできているので」
「満足してるの?就職に」という発言は、ものの見事にアニメ好き=ニートと偏った見方をしていることを表していた。これにはさすがに呆れてしまった。
次に心に残った発言だが、先のやり取りのあとのミッツ・マングローブ氏のものだった。
「なんでアニメ好きは仕事も就職もままならないし自衛隊に入ってもへこたれちゃうって決め付けちゃうんだろう?」
まさにこれなのだ、この討論が始まってから私が感じていた不快感はこれだったのだ。
決めつけ、つまりそのものに対するイメージということなのだがアニメオタクは性格だけでなく見た目も決めつけられている節がある。
イメージというものは全く怖いもので言い方は失礼かもしれないがスタジオに来ていた3人のアニメオタクの方々はまさに電車男が流行った頃の秋葉原のオタクというような風貌であった(これもイメージでしかないのだが)。これもテレビ番組の”演出”というものなのだろう。
ただ偏見という点から見れば、ある種の若者文化と言われるものはいつの時代も偏見の目で見られる事が多い。
一昔前で言えば、ビートルズがそれに当てはまるのではないだろうか。ビートルズが流行り始めた時代、若者はビートルズに熱狂していたがそれを偏見の目で見ていた人もいたと言われている。また最近で言えばAKBだってそうだ。結成初期は「パンツ見せ集団」などと呼ばれていた。
それがどうだろう、今ではビートルズと言えば1960年代の日本を圧巻した洋楽バンドグループの代表として語られAKBグループは国民的アイドルと呼ばれる。
結局、偏見というのも自分と違うもの、自分が知らないことに対する一方的な拒絶だと思う。
良いコンテンツは時とともに認められ偏見は薄れていく(偏見の目で見ているような世代から死んでゆくから)だろうし、その逆は自然と淘汰されていく。
それが薄れていった頃にはまた新たな偏見の対象が生まれるのが世の中の流れなのだ。
アニメというコンテンツは今、その流れの真っ只中に置かれているのかもしれない。
個人的まとめ
TVタックル「ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か」回においては、なぜ規制に賛成あるいは反対なのかという討論というより、美少女アニメ好きに対して特にロリータ趣味があるオタクの異常性(異常と決め付けるのもある意味、偏見であるが)であったり、それを頭ごなしに非難する内容が多かったことは残念としか言い様がない。
また昨今ネット上にはアニメ好きというものは無数に存在していて、ある程度発言力を持っているように見えていた。しかしアニメ好きという存在は数は増えつつあれど、まだまだマイノリティなのだとも実感されられた。
だからといってマジョリティーの主観で正常/異常を決めつけたり、理解もなしに否定するということが許される社会というものには、少し恐怖を感じる。大多数の意見がこうであるからこうなんだ!と集団で決めつけてかかる、そしてそれを疑う事もせず自分の考えだと思い込んでしまうある意味での素直さというものほど怖いものは無い。
すこし話がずれてしまったが、私が今回のTVタックル「ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か」を視聴して感じたのは「自分の知らない世界を否定というフィルター越しに眺めるということは自分の可能性を狭める」という事だ。イメージの決めつけも同様である。
規制についてまともな討論が行われていたわけではないので規制の善し悪し判断材料にはなるものは得られなかったが、この番組をみて規制について考える時間を設けられたことは唯一良かったと思える。
そして出来るならば、決め付けてかかる頭の堅い人間ではなく、柔軟にいろいろなものを多方面から客観的に見ることの出来る人間になりたいものである。
最後に…Twitterでも話題になっていたが「東京カワイイTV」で様々なギャル文化に触れてきた沢村一樹氏が最終回でこんなことを言っていたそうだ『理解できなくていいんです。否定しなければ。』
ほんとにこの一言に尽きるのかもしれない。
TVタックルの話。こういう話が出る度に僕は同じことを言ってますが、前にNHKでやってた「東京カワイイTV」で様々なギャル文化に触れてきた沢村一樹さんが最終回で言ってた『理解できなくていいんです。否定しなければ。』は本当に名言だと思う。
— 美樹本YOU (@you_mikimoto) 2014年9月2日
以上、TVタックル「アニメに規制は必要か」を見て感じた事【私的アニメ論】でした。
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